非常に古い歴史をもっている
 
そもそも神楽は「古事記」「日本書紀」に記されている天の岩戸の逸話を源として全国に多種多様なものが伝承されています。
 その中でも伊予神楽は男神子四国神楽といって、四国の神楽の宗源をなすもので非常に古い歴史を持ちます。その創始は現在では不明となっていますが、宇和島市八幡神社には嘉元3年9月(西暦1305年、鎌倉時代)の銘がある神楽面が残されており、それ以前より伝承されていたことは確かです。
 昭和36年3月30日に第一号として愛媛県無形文化財の指定を受け、また昭和56年4月21日に国指定無形重要文化財の指定を受けています(第45号)。


男性の神主のみで奉納されている
 元文3年(西暦1738年江戸時代中期)に書かれた伊予神楽の神祇本(神楽の順序と神歌を記したもの)には、歴史について以下のような説明が残されています。
「-前文省略-・・・・又神代の上の巻に矛のしたたりこりかたまりて島となる是淡路の島也、次に伊予の二名島を産給ふ 是伊予、土佐、讃岐、阿波四国也 いつの頃よりか神代の神事をまなんで男神子四国神楽の申伝也、しかるに在来の神楽歌等考え見るに多くの神歌或は梵語を交え仏語引て天竺唐土の古言を出すおろかなるかな 我朝のあらゆる神明の掟を除いて他国の沙汰を借ること中興社職の誤ならん・・・・-以下省略-」 
 上述の通り、古くは「男神子四国神楽(おかんこしこくかぐら)」と称し、四国における神楽の宗源をなしていますが、後に伊予二名島の記述に則り「伊予神楽」と改名し、現在に至っています。男神子(おかんこ)つまり男性の神主のみで構成する神楽集団は全国的にも少なく、この点が一般の人達が奉納する、所謂里神楽とは大きく異なる点で、この伝統は現在でも脈々と受け継がれています。


神楽自体が祭典(神事)を
          伴ったものであること

 古来より愛媛県宇和島市、北宇和郡地方において神社の神事は神楽奏上を以って祭典としておりました。つまり神楽の中に現在神社で秋祭りなどで行われている祭典が盛り込まれていたのです。
 明治に入り神社祭式が全国的に統一され、地方色豊な神楽祭式が次第に廃れてゆくなか、次第に神楽の本来の意義も薄れてきました。神楽の奉仕者も神主から民間人へ、内容も神事の部分を省き大衆の喜ぶ舞技中心の、いわゆる里神楽へ移行していったものが多くなりました。中には上述の神祇本に嘆かれているようにまるで中国の京劇かと思うような神楽もあります。 
 その中で伊予神楽は古来よりの神楽の形式をそのまま伝承しております。そのほとんどが神社での奉納ですが、施設等で奉仕する場合は必ず神籬(ひもろぎ)を立て神様をお迎えしています。伊予神楽は全部で35場あり、一晩かけて奉納しますが、そのうち七場は神事のみで舞はありません.

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 伊予神楽は愛媛県南予地方に遠く鎌倉時代以前より現在に伝わる神楽で、男性の神主だけで奉仕され、神楽全体が神事という特長をもっています。
 昭和56年に国指定無形重要文化財の指定を受け、現在ではかんなぎ会という団体を組織して保存を図っています。